Taylor Swiftのスピーチがインスタグラムに流れてきて目に留まった。
「私が何千時間も、趣味と自分だけの時間を持てたことは幸運だった。
今はすぐに反応が返ってくる世界だけど、そのフィードバックはあなたの夢を壊しかねない。
だから、まずは自分だけの時間の中で、好きなことを育てていくことを許してあげて」
この言葉が、私の心に響いたのは、きっと「自分の好きをすぐに世間への見せ物にしなくていい」と言ってくれたから。
この世の中は、いろいろなサービスがみんなにシェアされる前提で作られている。SNSでは多数のコンテンツ、多数のコメントが流れてくる。ちょっと刺激的すぎるくらい。
シェア前提への違和感
私は洋書多読を始めて、読んだ本や感想をnoteで書いたことがある。
自分の記録のため。そして同じように多読する人が次に読む本の参考になるかも、と思ったから。
ある本について、自分はあんまり楽しめなかったと正直に書いた。もしかしたら英語力が不十分で、伏線を拾いきれなかったからかもしれない。いつか読みながら、読み直したらまた感想も変わるかもしれない。と綴った。
その記事には「楽しめないなら、無理に読まなくてもいいんですよ」というコメントがついた。
多読の世界ではよく言われるアドバイスだ。
わからない単語は読み飛ばすべし。
つまらなかったら別の本にいくべし。
相手に悪気はなかったと思うが、求めてもいないアドバイスに釈然としない気持ちとなった。
私は、正解を求めていたわけでも、効率的な読み方を教わりたかったわけでもない。
ただ、その時の楽しめなかった過程も含めて、「自分の体験」を言葉に留めておきたかっただけ。
インターネット上では自分が公開したものを、他の人がどう受け取るか、コントロールなんてできない。
みんな見たいように物事を見るから。
内で育むこと、外に出すこと
じゃあ、不特定多数の目に触れないように、全てを非公開にすればいいのか?
私は「外に出す」行為にも意味があると思っている。
私は、毎日ノートに出来事や日記を書いている。そこは完全に自分だけの聖域。
なんだってオープンに書ける、自分とだけおしゃべりする場所だ。
でもそれだけでは物足りない。
ブログに何かを書こうとすると背筋が伸びる。
「誰かが読むかもしれない」と思うと、理解してもらえるように言葉を尽くそうとする。
工夫するうちに、本当に伝えたい思いにたどり着いて、自分自身が深く納得できたりする。
他者の目に触れるからこそ、手を抜かないようにしようとして、それが成長にもつながる。
ノートという密室では得られないものがブログにはある。
WordPressで見つける自分を壊さない発信の距離感
デカルトは『方法序説』の中で、自分の考えを公開することについて
「これが一部の人の役に立って、誰も傷つけることもなく、そしてこの率直さがみんなに多少満足してもらえるといいなと思う。」と述べていた。
私はこうやってるよ。
中には、他の人には当てはまらない例も入ってるかもしれないけれど。
私の場合はこうだったよ。
そういう発信が私は好き。
正解を教えるでもなく、正解を教わろうとするのでもない。
誰にも邪魔されずに好きを育てる時間と、それを外へと差し出す時間。
心地よい距離感で、発信していきたい。


